
『クラインの壺』
岡嶋二人
講談社文庫
ミステリーである。実にミステリアスな本である。またSFでもある。あるいはホラーでもあるかもしれない。バーチャルリアリテー・システム「クライン2」を使用したゲームをしているうちに、現実と非現実との見分けがつかなくなる話だ。「ゲームの中に入り込んでしまうんだろ?」と思った人は考えが甘い。どんなに良くできたゲームでもまさか現実との見分けがつかなくなることは無い(一部の異常者を除く)。問題はゲームにあるのではなくバーチャルリアリテー・システムにある。バーチャルリアリテー・システムとは、皆さんも知っての通り仮想現実を体験するシステムだ。今の技術では仮想現実と現実の違いがわからなくなるなんてことはない。が、もしも完全なバーチャルリアリテーが完成したらどうなるのだろうか?かの有名な映画「マトリックス」は実はこの世界はコンピューターが作った仮想現実の世界であるというストーリーだった。「マトリックス」の住民たちは、自分が仮想現実の世界に生きているということは初めからずっと知らない。この「クラインの壺」の主人公は完全なバーチャルリアリテー・システムに何度も出入りしている。が、本当にそうなのだろうか?もしかしたら一度入ったきり一度も外に出ていないのかもしれない。単に仮想現実の世界の中で「壺」に出入りしていただけで実際には「壺」に入ったきりなのかも知れない。完全なバーチャルリアリテー・システムはバーチャルリアリテー・システムへの出入りさえも完璧に再現することが可能なのだから。
話の中の主人公は結局、主人公が今いるのは現実なのか仮想現実なのかわからない。バーチャルリアリテー・システムの研究者達が言うように本当に単なるゲーム機に過ぎないのかそれとも…。おっとネタバレしかけたのでこのへんで話の内容について書くのをやめておく。NHK少年ドラマシリーズの復活第1弾として、ドラマ化もされたようだが僕は見ていないのでなんともいえない。が聞いた話によると少年ドラマだからか、主人公が高校生にヒロインも主人公の家庭教師の大学生に、と年齢が下がっている。原作では二人とも始めは初対面でクレイン2で出会う。どちらも一応社会人(フリーターというやつだが…あっ、主人公はクライン2でゲーム作家になったのかな?)である。断然人間関係の設定としては原作のほうがいい。バーチャルリアリテー・システムの仕組みはSFではないのでかなりいいかげんだ。一応ミステリーなのだ。やはりこの作品の一番の見所は単純だが奥が深いストーリーだ。いやこの壺の奥は深いのではない。むしろ19世紀のドイツの数学者フェリックス・クラインが考えたトポロジーのクラインの壺のように裏も表もなく奥は深いというよりむしろ無限である。
画像は「数理科学美術館」の物をお借りいたしました。
著作権は「数理科学美術館」の森川浩様にあります。ご注意ださい。
これがクラインの壺です。小説とは直接は関係ありませんが…。
追記:
僕は洛西文学研究会副会長のT.M.氏と「エンディングで主人公はクライン2の中にいるのかそれとも本当に現実の世界にいるのか」と言うことを話しあった。
エンディングで主人公はクライン2の中に閉じ込められており、そこで主人公は陰謀を暴いたため仮想現実を現実だを思い込ませようとしているのだ、という説が正しいとするとこの話はかなり深刻な話になってくる。僕はまあ深刻な話のほうが好きだから良いのだが。ただこの場合、主人公とともにとらわれたヒロインの友人の真壁はどうなっているのだろうか。研究所内にクライン2は一つしかないはずだが?それに主人公を殺さずにクライン2の中に閉じ込めておく必要性もあまりないと思う。クライン2が本当にゲームでなかった場合、それが暴かれると危険なだけで、もはや利用価値はないと思う。
もし現実世界にいるのならこれまでのお話は全てゲームの中の話ということになってしまう。その落ちでは夢落ち並に物足りなさが残る気がする。いったいこれまでの話は何だったのかと。でも扉の次にいきなりある主人公とクライン2を研究している組織との契約書(本物を添付しているかのように印刷されている)の存在や、冒頭の山の中の別荘で主人公が経験した「クライン2」に関する事件を書くシーンの存在が、エンディングにおいて主人公が自殺するシーンが「クライン2」の中の出来事でなく現実であることをほのめかしている。つまりこの本『クラインの壺』は主人公が自殺する前に残した遺書である、という設定になるのである。マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』もこの形式に似ており、この本は徹底したドキュメンタリー・タッチで描かれており、扉が報告書の表紙のようになっている。事件後に事件についてまとめた『アンドロメダ報告書』であるという設定になっている。
僕とT.M.は一応、現実説を支持することで合意した。まあまた読み返すと新たな発見がありクライン2の中説が正しいことがわかってしまうかもしれない。
理論的にどちらが正しいかわかった人は洛西文学研究会までメールをしてくれるとありがたいのだが。
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